课程咨询

关注微信领资料

入门好课等你领


日语免费测试

日语中的"式三献"指的是什么?

2017-11-13 14:25:42来源:网络

  新东方在线日语网为大家带来日语中的"式三献"指的是什么?一文,希望对大家的日语有所帮助。

  現代日本人の間で行われている宴会は、主催者の挨拶と主賓の礼辞に始まり、乾杯を経て酒宴があり、最後は手締めで散会となる。酒宴の合間には時に応じて芸者の芸や、参会者の下手な余興 が披露されて、参加する者たちの退屈を紛らわしたりするものだ。

  现代日本人举行的宴会,是从主办方的致辞以及宾客的礼辞开始的,中途有干杯的酒宴,最后大家一起拍手散场。在酒宴的空隙有时还会请艺妓表演,参会者也会进行拙略的表演,给参加者们带来些乐趣。

  このように、宴会には一定の型があるものだが、古代においては現代以上に厳密な型が定められていた。平安時代においては、大きく分けて、導入部としての酒礼とよばれるもの、食事にあたる饗膳 とよばれるもの、そして宴会本体としての酒宴からなっていた。酒礼は今日でいう乾杯にあたるものだが、そのやりかたを式三献といった。われわれはとかく、乾杯は西洋の影響だと考えがちだが、それ以前に式三献というものがあって、その伝統の上にたって今日の宴会の導入を形付けているといえるのである。

  像这样宴是有其固定形式的,然而在古代要比现在更加细密周到。平安时代,大致划分为:作为开场的“酒礼”、类似吃饭的“筵席”以及作为宴会主体部分的“酒宴”。酒礼相当于现在所说的干杯,形式叫作“式三献”。普遍认为日本人的干杯是受西洋的影响,但在这之前就有式三献,可以说是在这个传统的基础上才形成了今天宴会的形式。

  饗膳の様子を記録したものとしては、男色家で知られる院政時代の貴族藤原頼長の日記「台記」がある。頼長は保延二年(1136)に内大臣に任命されたが、それを披露するために大饗を催した。その際の様子を比較的詳細に、日記に記録しているのである。

  记录有筵席场景的是,作为男色家而出名的院政时代的贵族藤原赖长的日记《台记》。赖长在保延二年(1136)被任命为内大臣,为了庆祝此事而举办大飨宴。日记中比较详细地记录了当时的情况。

  まずお祝いに参じた公家たちが各々座を占めると、その前に机が立てられる。机は二尺半ほどの細長いものを、二つあるいは四つ組み合わせ、客の身分に応じて、赤と黒とに塗り分けられていた。その上に折敷 に載せた肴が運ばれる。頼長自身は「源氏座」という主人の席に着き、まず自分が杯をとった後に、客のうち身分の高いものから順次回し飲みする。これを流巡といった。流れの杯という意味であろう。

  首先是参加祝贺的朝臣各自就座,前面放着桌子。桌子由两个或者四个约二尺半左右细长的东西组合而成,根据客人的身份不同而被分别涂成红色和黑色。上面放有用木制方盘盛的下酒菜。赖长自己坐在“源氏座”的主人席位,首先自己先饮一杯,再按客人身份从高到低的顺序依次饮酒。这叫做“流巡”,意思是流动的杯子。

  二順目では、主人の頼長は杯をとらず、客の間で順次回し飲みされる。三順目で頼長は再び杯を取っている、以上三回にわたる回し飲みを総称して式三献といったのである。

  第二轮是主人赖长不喝酒,宾客间轮流饮酒。第三轮是赖长再次举杯,上面三回巡酒总称为式三献。

  三順目すなわち三献がすむと、饗膳に移る。このとき杯は式三献に用いられたものとは別のものに取り替えられるのが例であったようだが、台記はそのことについては触れていない。多くの場合、漆器から土器に変えられたようだ。

  第三轮也就是三献结束之后就开始用膳。这时候好像会把用作式三献的杯子替换成别的东西,但是台记中并没有对此事进行描述。大多数场合好像是把漆器换成土器。

  ここで興味深いのは、参加者たちが一つの杯を共有していることである。今日のように、各々が自分用の杯で飲むということはなく、一つの杯を順次回しながら飲んでいる。これは恐らく古代から伝わる神人共食の思想に基づいた直会の風習が息づいていたことの表れだと思われる。直会では、神の威力をたたえた杯を、参加者が順次まわし飲むことによって、共通の恩恵にあずかろうとする思想が働いていた。こうした飲み方は、近世まで廃れなかったようなのである。

  这里最有意思的是参加者们都共用一个酒杯。并不是像今天一样大家各自用各自的酒杯饮酒,而是用一个酒杯轮流饮酒。这恐怕是以古代传下的神人共食的思想为基础的“直会”(在神社举行的祭神仪式结束之后,所有参加者一起用餐这样一个活动)风俗发展的表现。在直会中,参加者顺次饮称赞神威力的酒杯里的酒,想要蒙受共同恩惠,有这样的思想作用其中。这样的饮酒方式直到近世都还没有废除。

  式三献においては、一献から三献まで、各々異なった料理が運ばれた。それらは、それぞれに汁と三ないし五の比較的あっさりとした菜からなっていたようだ。式三献に続く饗膳では、飯をはじめ本格的な料理が出され、饗膳の後の酒宴でも、料理と酒が引き続き出された。このような献立が洗練されて、やがて本膳料理の完成へとつながっていったのだろう。

  式三献中,从一献到三献都会呈上不同的料理。这些分别由汤和3~5道比较清淡的菜组成。式三献之后的筵席上,会有饭为主的正式料理,即使是筵席之后的酒宴,也会不断有料理和酒。经过这般考究的准备之后,不久才会完成主菜的吧。

  式三献は、日本の宴会の原点をなすものであり、後世まで色々な形で伝わった。任侠の間で行われる固めの杯や、今日の結婚式に残っている三々九度の杯など、 また我々が友人同士の楽しい席で行っている乾杯にも、式三献の名残は認められるのである。

  式三献,是日本宴会的原点,直到后世仍然以各种各样不同的形式传承。有侠义间的稳固之杯,还有现在结婚仪式上用的三三九度杯,还有我们和朋友伙伴在欢乐宴席上的干杯,都被认为是式三献的传承。

  以上就是新东方在线日语小编为你带来的日语中的"式三献"指的是什么?,更多精彩内容,敬请关注新东方在线日语网(http://language.koolearn.com/jp/)。


新东方在线日语水平测试(自测版)-0元领!

关注新东方在线小语种服务号

免费获取日语学习必备大礼包

更多资料
更多>>
更多内容

日语资料包【新手入门必备】

·发音练习·基本词汇·历年考题

更多>>
更多日语课程>>
更多>>
更多资料